やはりスキンシップというのは大切だと思ったのはそれ以来だ。
まぁ‥‥その日の出来事を単純に「スキンシップ」と呼ぶにはかなり語弊があるだろうが‥‥
とにかく。
何となく遠慮ぎみに接してきた煉美が、体ごとぶつかるような勢いで頼ってきてくれるようになったのは、
色々な意味で僕の励みになった。
僕のほうも…はじめに煉美の施しで達してしまった事によって、煉美に甘えるような態度を見せる事に
抵抗がなくなった。
自分の存在が僕にとっても必要であるという事が、彼女にとっても嬉しいようだ。
いわゆる「持ちつ持たれつ」のいい関係だ。
ただ…相変わらず僕のバイトは時間が不定期で、お互いにとって不満だったのは、あまり一緒にいられない事だった。
これを何とかしようと、僕は悩んでいた一つの手段に出た。
以前から、ふらふらしている僕を見かねて、町工場をやっている叔父に仕事を誘われていた。
個人的に、あまり親族のもとで働くのは嫌だったし、叔父に借りを作るのも嫌だった。
自由気ままに出来なくなる‥‥というのも辛かったが…‥安定した収入と時間には代えられない。
それに…‥もしかしたら煉美の「保護者」を名乗らなければならなくなった時に「無職」では困るとも思ったからだ。
ある休みの日、僕は煉美にこの事を相談した。
いま一つ僕の話が飲み込めなかったようだが、一緒にいられる時間が増えるという事に喜んでくれた。
叔父に連絡をとり…春先からの仕事を約束し、全ては上手くいくように思えた。
いつものように遅い時間にバイト先から戻る。もう日付けは変わっていた。
「ただいま…‥」
電気が煌々と付いたアパートの部屋に戻る。
煉美はまだ起きていた。
僕の姿を見るや否や走るように僕に飛びついて来る。
無言のまま腰に廻した手にきゅっと力を入れて僕に抱きつく。
「おいおい‥‥えらい歓迎のされようだな?」
ちょっと茶化すように言ってみたが、煉美はじっと黙って、僕の体に頭をつけたままだ。
…たまにだが…彼女が独りで部屋で待つ時、不安になる事があるらしい。
そんな時はこうしたまま、じっとその小さな体を受け止めてやる。
普段なら暫くすると、にっこりと微笑んで僕を見上げるのだが…‥
「どうかしたのか?」
様子がおかしいので優しく問いかける。
「…‥‥おにいちゃん…‥煉美の事好き?」
やっとの事で彼女が声を出す。
「ああ、大好きだよ。」
「ずっと…‥‥ずっとお兄ちゃんと一緒にいてもいいよね?」
「ああ、ずっとだ。」
「ず〜っとずっと?おかあさんが見つかっても?」
「ぅ〜ん‥‥それは‥‥‥」
流石に困って言葉につまる。
「お願い‥‥‥おにいちゃん‥‥おかあさんがしたみたいに、煉美の事捨てたりしないよね‥‥」
ほろほろと涙を流しながら、僕の胸から顔を上げる。
「当たり前だ」
何だかよく判らないが、僕は煉美の頭を抱きしめた。
「捨てたりなんかする訳ないじゃないか。煉美はお兄ちゃんにとって、とっても大切なんだよ‥‥
そんな心配なんかして‥‥バカだな‥…‥煉美は」
「うん‥‥‥ゴメンね、ヘンな事言って……」
僕の言葉に落ち着いたのか、彼女は顔をあげると、涙をぬぐいながら少しだけ笑った。
その日は二人寄り添って…‥いつもそうだが
いつにも増して、ぴったりと張り付くように体を合わせて眠りについた。
その日、煉美に何があったのか判ったのは、煉美が学校に行っていて僕は仕事がなかった、ある日の午後だった。
めったに鳴らない部屋の電話が鳴る。
電話をかけてきたのは煉美の母親だった‥‥‥
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今、僕の頭の中では、とりとめのない迷いと不安、怒りや悲しみ‥‥
色々なものがどろどろと渦をまくように浮かんだり、沈んだりしていた。
何も考えず、自分の意のままままに行動するのは簡単な事かもしれない、、でも、、
今まで身に付けた「経験」というものが、その行動の未来にストップをかける。
あらゆる事を考えた。あらゆる方法を考えた。
煉美の母親が言っていた事、決めた事はもっともだった‥‥
そして、それに対して僕が全く成す術を持っていない事も‥‥‥
だから僕は今‥‥‥自分に激しい怒りを感じている。
「たっだいま〜っ!」
煉美が学校から帰って来た。
僕は今日あった出来事を彼女に話そうか、どうしようか迷っていた。
あの日、煉美が母親と会っていたのは、今日話をして判った事だ。
そして‥‥これからの事‥‥
「やった〜!今日はお兄ちゃんずっとおうちにいるよねっ」
「ああ‥‥」
無邪気な煉美の笑顔を前に、僕の心は沈んだままだ。
「どしたの? なんか元気ない‥‥」
窓際に腰掛けている僕の側にしゃがみ込んで、瞳を覗き込むように顔色をうかがっている。
やっぱりダメだ‥‥言わなければいけない‥‥‥これはもう……仕方のない事だった。
「‥…実は…‥」
僕は、今日煉美の母親から電話があった事、直に会って話をした事、、、そして‥‥
「お母さんは煉美を僕の所じゃなくて、施設に入れたいって言っているんだ‥‥」
みるみるうちに煉美の瞳に涙が溢れる。
「でもね‥‥。お兄ちゃんはずっと煉美と一緒に居たいと言ったんだ、お母さんに」
「じゃあ‥‥」
べそをかきながらも、一瞬彼女の表情が明るくなる…‥
「でも‥‥それは出来ないんだよ‥‥」
「‥‥‥何でっ! なんで‥‥おにいちゃん一緒にいてくれるって言ってくれたじゃないっ!
煉美の事、捨てないってやくそくしたじゃない!」
涙をほろほろ流しながら、僕にすがりつくように泣きつく。
「僕には‥‥お兄ちゃんには決める事が出来ないんだよ‥‥煉美‥‥
僕は本当の煉美のお兄ちゃんじゃないし、血も繋がっていない。
煉美、これはどうしようもない事なんだ‥‥‥」
僕は自分の心が絞りあげられるような気持ちで、やっとの事で言葉にした。
「何で! 何で! 何で!」
煉美は泣きつきながら、僕の胸に小さな拳を打ち付けた。
何度も何度も‥‥‥泣きながら‥……
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そして……‥ 春先のように暖かい次の日…‥
自分の事を一度捨てた母親に連れられ、煉美は僕の部屋から去って行った。
「これ‥‥持って行くか?」
僕が差し出したハンカチを受け取り、無表情に煉美がこっくりと頷く。
「‥‥‥‥‥じゃぁ‥」
「バイバイ」
僕がさよならを告げる前に、くるりと背中を向けて離れてゆく。
まるで誰に対しても心を閉ざしてしまったように。
……僕と煉美の最後の会話はそれだけだった…‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
暫くして、僕は永年住み慣れた、このアパートを出る事にした。
叔父に頼み込んで仕事始めを繰り上げて、工場の近くの下宿に住み込む事に決めたのだ。
仕事?引っ越し? 僕にとってはどうでもいい事だった。
ただ、ここで何もしないでいるままでは、きっと本当に僕は何も出来なくなってしまう‥‥そう思ったからだ。
業者が荷物を運び去った部屋のまん中に座り、煙草に火を付け、深く吸い込む。
開け広げた窓から入って来た一陣の風が、ゆらいでいた紫煙を消し去る。
「…‥おにいちゃん‥‥‥」
ふと‥‥その風に乗って、煉美の声が聞こえたような気がした‥‥‥‥
■ おしまい ■
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